東京の人間は無責任である。逆を返すと中途半端に他人に対して責任を負いきれない現実があるのだと思う。
東京の人間は仕事好きである。いや正確には会社にやたら居たがるといった方が正しい。残業こそが自己アピールの場なのかも知れない。
うちの会社にも同じことが言える。ある種の連中は、(オレを含めて)終業後1時間程度で即帰る。ただ、それ以外のある種の連中は、何をするでもなくうだうだと9時過ぎまで残っていたりする。
これらと同じことに日本の時代劇があると思う。はっきりいってくだらない。お決まりの荒唐無稽なストーリーのためにテレビにかじりつく国民性を考えてみると、やはり同じように華美に脚色された歌舞伎や能楽などを好む文化的背景が影響しているのだと思う。「江戸を斬る.com」なんて最たるものである。だからこれが最終回となった。
さて、歌舞伎の文化を考えてみたときに思い浮かんだのは、第二時世界大戦後の日本占領政策に際して文化人類学者のルース・べネディクトが著書した「菊と刀」である。日本人の文化を理解する上で重要なことは、1枚の絵の中に通常相容れない、菊と刀がバランスよく描かれていることについての日本人特有の芸術性の感覚を理解することから始める必要があったと・・・
三島 由紀夫
「命売ります」

三島 由紀夫 1969年 東大全共闘学生らとの対話集会にて
この本は、生きる意味がわからない人に読んで欲しい本である。
三島由紀夫の「命売ります」は意外なほど軽い文体でスラスラと読め、そして、エンターテイメント性を重視していてとてもおもしろい!
生きてることに虚しさを感じた主人公は、新聞に「命売ります」と荒唐無稽な広告を出します。そんなバカげた広告に引き寄せられていろんな奴らがやってきます。なんと吸血鬼もやってくる・・・・・・・
こうやって粗筋をちょっと説明すると、リアリティのないマンガみたいストーリーか?と思われるかも知れないが、そこは日本文学の最高峰、腕が違う。軽やかさとディープさを絶妙に織り交ぜながら、ラストはとても切なく、考えさせられる。
テレビなどで「自殺はいけない」と言うメッセージをよく耳にする。
しかし、昔の生粋の文学者はけっこう自殺している。
芥川龍之介にしても、太宰治にしても、川端康成にしても、へミングウェイにしても、そして、三島由紀夫にしても。
特に三島の最後は壮絶だった。(切腹に憧れていたのかもしれないが)
自殺を勧めたり賛美したりしてはいないが、小説家というのはだいたい「書けなくなると死んでしまう」と誰かが言っていたのを憶えている。
たしかにそうかも知れない。まだ書ける、新しい世界が創れる、と思ったら自殺はしないでしょう。
もうダメだ、限界だ、と思うからこそ自殺してしまうのかもしれない。
そう考えると生きる事とは「希望」であり「願望」であり、「可能性を信じる」ことなのかもしれない。
「希望」も「願望」も「可能性」も見出せないのなら、是非この小説を読んでみてほしい。
何かが解るかも知れない。
THE END
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明日はいよいよ引越・・・がんばってナス・・・






































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